2014年 05月 22日
旅の匂い |
先日上野の美術館にバルテュスを見に行き、昔ヴェネツィアでバルテュスの大回顧展を見たのは何時だったかなと、例によって古いアーカイブをチェック。パラッツォ・グラッシィで開かれたバルテュス展は没年と同じ2001年でした。ヴェネツィアのパパ、ヴィットリオが亡くなった年です。そろそろまた旅に出たくなる気持ち。
旅の匂い(2002年のGAZZETTA TENCOより)
出かけようと思い立ったときから、すでに旅は始まる。旅行中のワードローブの組み合わせをあれこれパズルのように考えるのもけっこう楽しいものだけれど、飛行機恐怖症の私には機内で読む本の確保という大事な旅支度がある。なにしろヨーロッパ便なら十数時間あまりの間、我を忘れるほど没頭できる内容でなければならない。おまけに私は本を読むのがやたら早いから、複雑で濃厚かつボリュームのある本が必要。できれば上下巻などが望ましい。おのずと一筋縄ではいかないミステリーや歴史もの、文化人類学系が多くなる。ぴったりの本がいつも都合よく調達できるわけじゃないので、普段から長持ちしそうな分厚い本を見つけると飛行機搭乗用として買い、読まずにストックしておく。この飛行機本、死活問題であるにもかかわらず、なかなか見つからないこともある。ところが不思議にも、搭乗前の待ち時間に空港の書店で何気なく見つかる確率が非常に高いのだ。切羽詰まった状況下で眼力みたいなものが出るのだろうか、適当に選んだつもりで読んでみると、まさにドンピシャ、その時一番知りたかったことが書かれていたり、もう一冊買っていった本の副読本のような内容だったりする。もちろん何度か失敗もしている。話題の本なんていうのはあまりあてにならない。重いのも我慢してハードカバー上下巻を持ち込んだら、思いっきりハズしてしまい悶々としたこともある。こないだ採用したミステリーは内容、ボリュームともに申し分なかったが、なんと生まれて初めて出会った超弩級の落丁本!謎解きに絡む部分が20ページもすっぽりぬけているではないか。これには何が起きたのかにわかに判断できずに眩暈がしてしまった。(そういう構造のハイパーミステリーかなと一瞬思ったりして)
もうひとつ旅支度というか心得かもしれないけれど、日常よりも気持ちのテンションの目盛りをいくつか上げておくことも必要だ。言葉の問題もあるが、これは現場主義なのであんまり予習しない。それよりも重要なのは勢い。例えばイタリアを旅するんだったら、かなりの自己表現をしないと埋没してしまうからだ。もちろん声のボリューム、表情のレンジもぐぐっと上げる。3倍ぐらいの出力で、まあ相手にとってはふつうという感じだろう。旅先でのいろんな事態に対応する瞬発力も大事だから、体力も温存しておかねばならない。食べる量、酒量も上がろうというものだ。これは勝手な持論だが、精神的にテンションが高まっている時はどんなに食べても太らない。脳が消化している感じになるのだ。
このハイテンションでありながら、どこか不安定で何ともいえずやるせない矛盾に満ちた旅の気分が好きだ。おそらく普段よりナイーブになっているのだろう。出会ったさまざまな風景は大切な時間の宝物。印象的だった場所や出来事はもちろん忘れられないが、別にどうということもない瞬間、ごくありふれた場面が思い出の破片となって心に残ることが多い。パリのヴェトナム料理屋のネオン、カフェにいたエルメスという名の大きな犬、夜行列車の窓からの暗い風景、雨の朝のロンドンの目玉焼き、自然史博物館のひんやりした匂い、ヴェネツィア映画祭の満月、シエナのホテルの庭に咲いていた時計草、アッシジで見舞われた突然の雷雨、ぶっちぎりのスピード狂のローマのタクシー、ペレストリーナの殺風景な堤防。この間のヴェネツィアでは、パラッツォ・グラッシィでのバルテュスが素晴らしかったけれど、展示室の窓から見えた夕焼けのほうがさらにとてつもないスペクタクルだった---。
パリの地下鉄の汚れたタイルやほこりっぽい匂いも私にとっては旅情をさそうもののひとつ。歩き疲れてカフェでひと休み、なあんにも考えずに行き交う人々をぼんやり眺めるのも大切な旅の時間だ。昔、夜更けに降り立ったミラノ中央駅のことを思い出す。あれは初めて踏んだイタリアだった。オレンジ色の電灯に照らされた構内は人もまばらで、想像していたよりずっとうす暗く、さびれた印象だった。これから先の旅を考えて、頑張らなくちゃと自分を励ましたあの時の心細さがなんだか懐かしい。
by tencovenexiana
| 2014-05-22 18:49
| viaggio