2013年 02月 23日
CONVIVIUM |
2007年5月にGAZZETTA TENCOに掲載したアーカイブです。今あらためて食卓の力について考えてみたい。写真は最近のもの。
CONVIVIUM
毎年この季節、岩手産の天然「たらの芽」がどっさり届く。本物のたらの芽は、かなり高木の梢から採取する貴重なものであり、ふつう市場に出回っている(低木に育てた)栽培ものとは、大きさや風味も格段の差があり、全く別物だ。これをフリットにし、プロシュットと一緒に食すと夢のように旨い。自然の恵みをダイレクトに実感できる。しかし大量のたらの芽、いくら好物といっても食べる量には限りがあるよなあと考えていたら、まさにそれが聞こえたかのように近所に住む友人ふたりから、次々とメールと電話があった。夕ごはん食べに来ない?と誘うと、相手ももとより半分期待しているところもあるので、もちろんふたつ返事。しかもひとりはたらの芽には目がないときている。かように我が家の食事メンバーは決まっていくのだ。さて食事時になると、ひとりがワイン、もうひとりはスモークサーモンを持って現れた。メインはともかくたらの芽とプロシュットだから、まずはスモークサーモンをのせたトーストを前菜にして乾杯。目一杯たらの芽フリットを堪能した後は、軽くカラスミのパスタでシメることにする。デザートはちょっとだけ残っていたアップルパイをオーブンで温めてアイスクリームと。ありあわせにしては、なかなかゴージャスな食卓になった。ひとしきり、おいしいもの話で盛り上がったが、この時食べたものをよくよく考えてみたら、お金を出して買った食材はなんとパンとパスタくらい。その他のものはプロシュットもカラスミもみ~んな頂き物ばかり。ウチではこういうことは珍しくない。ちなみに翌日の昼食に、今度はたらの芽とこごみをてんぷらにして稲庭うどん、食後にクルミ入りの和菓子を食べたけれど、これも見事に頂き物ですんでしまった。
新潟に家と田畑があり、ウィークエンド農業をやっている友人がいて、先日田植え前の準備の手伝い(もちろん私は見ているだけ)と温泉(主たる目的はこっち)しに、連れていってもらった。山あいの村の新緑は、触れれば染まりそうなくらい鮮やかで、心も体も細胞レベルで癒される感じだ。そして、まさに山菜とアスパラガスの旬の真っ只中。近くの農家に声をかけ、出荷前の採りたてのアスパラガスを山ほど分けてもらった。(座敷いっぱいに広げられたアスパラガス!という驚嘆すべき光景も目にすることができた)急いで持ち帰り、さっと直火で焼いてオリーヴオイルと塩・胡椒をふって思う存分食べまくった。というか、土の香りを含んだその味は食べだしたら止まらない旨さなのだ。このアスパラガスをスターターにし、その後はラムの塊のロースト、地物のクレソンのサラダ、ここでは爽やかな空気と満天の星がさらなる調味料となる。シンプルかつ滋味あふれる食卓だ。東京に戻ってもしばらくの間、アスパラガスを食べ続けることになったが、ちっとも飽きなかった。短い旬の間に、つまり一番新鮮でおいしい時にしっかり食べておくというのが、正解なんだろうな。
ある日のお昼。年に数回あるかないかの、きらきら輝くような五月晴れだ。たまたま外の工事の音もあまりない工程で、しばらくぶりに開け放った窓からの風がすごく気持ちいい。お昼はトマトやツナ缶、アンチョビにケッパーなど買い置きの材料だけで作れる簡単なパスタにしようと、鍋に湯を沸かしはじめてから「こんなに気持ちのいい日は、みんなで食べたらさぞかし楽しいだろうな」と思いつき、お隣の友人宅に声をかけてみた。いつも多忙な家なので、ダメモトのつもりだったけど、タイミングよくちょうど居合わせたその家の息子や、仕事のスタッフの女性も加わることになって、あっという間に話はまとまり、6人でお昼することになった。パスタを余計に茹でればいいだけだから、2人も6人も準備の手間は変わらない。かくして、イタリアの大家族よろしく、大皿に山盛りのパスタとサラダとワイン(前菜はもちろんアスパラガス)の食卓を賑やかに囲むことになった。食後のカフェだけは、ちょっと気取ってマッキナを使った本格エスプレッソにして、パイナップルの形のハワイ土産チョコクッキーを「パイナップルの味はしないねー」とかいいながらぱくぱく。ほんの1時間あまりを食べて喋って過ごし、後はまた各々仕事に戻ったり出かけたりしたわけだけど、その共有した楽しい時間がしっかりエネルギーになったような気がした。こんなふうに、おいしいものをみんなで食べる時間ほど大切なことって他にないよね。イタリア語でCONVIVIO(語源のラテン語ではCONVIVIUM)といえば、CONVIVERE「ともに生きる」から派生した言葉で、「饗宴」を意味する。ともに生きるということは、すなわち「ともに食べる」ことなのだ。何を食べるかより、「どのように」あるいは「誰と」食べるかが重要なのだと、この頃つくづく思う。贅沢なものはいらない、ただ健康でいて一緒に不自由なく好きなものを食べられる幸せに、日々感謝しなければならない。------とここまで書いている最中に、熊本のメロン、それから北海道から白アスパラガスが届いた。よし、今夜はプロシュットとメロン、白アスパラガスのリゾットにしよう、と決めて友人に電話。もちろんここでもふたつ返事である。おまけにリゾットにするお米もまた頂き物なのだった。う~む、実にありがたいことである。
CONVIVIUM
毎年この季節、岩手産の天然「たらの芽」がどっさり届く。本物のたらの芽は、かなり高木の梢から採取する貴重なものであり、ふつう市場に出回っている(低木に育てた)栽培ものとは、大きさや風味も格段の差があり、全く別物だ。これをフリットにし、プロシュットと一緒に食すと夢のように旨い。自然の恵みをダイレクトに実感できる。しかし大量のたらの芽、いくら好物といっても食べる量には限りがあるよなあと考えていたら、まさにそれが聞こえたかのように近所に住む友人ふたりから、次々とメールと電話があった。夕ごはん食べに来ない?と誘うと、相手ももとより半分期待しているところもあるので、もちろんふたつ返事。しかもひとりはたらの芽には目がないときている。かように我が家の食事メンバーは決まっていくのだ。さて食事時になると、ひとりがワイン、もうひとりはスモークサーモンを持って現れた。メインはともかくたらの芽とプロシュットだから、まずはスモークサーモンをのせたトーストを前菜にして乾杯。目一杯たらの芽フリットを堪能した後は、軽くカラスミのパスタでシメることにする。デザートはちょっとだけ残っていたアップルパイをオーブンで温めてアイスクリームと。ありあわせにしては、なかなかゴージャスな食卓になった。ひとしきり、おいしいもの話で盛り上がったが、この時食べたものをよくよく考えてみたら、お金を出して買った食材はなんとパンとパスタくらい。その他のものはプロシュットもカラスミもみ~んな頂き物ばかり。ウチではこういうことは珍しくない。ちなみに翌日の昼食に、今度はたらの芽とこごみをてんぷらにして稲庭うどん、食後にクルミ入りの和菓子を食べたけれど、これも見事に頂き物ですんでしまった。
新潟に家と田畑があり、ウィークエンド農業をやっている友人がいて、先日田植え前の準備の手伝い(もちろん私は見ているだけ)と温泉(主たる目的はこっち)しに、連れていってもらった。山あいの村の新緑は、触れれば染まりそうなくらい鮮やかで、心も体も細胞レベルで癒される感じだ。そして、まさに山菜とアスパラガスの旬の真っ只中。近くの農家に声をかけ、出荷前の採りたてのアスパラガスを山ほど分けてもらった。(座敷いっぱいに広げられたアスパラガス!という驚嘆すべき光景も目にすることができた)急いで持ち帰り、さっと直火で焼いてオリーヴオイルと塩・胡椒をふって思う存分食べまくった。というか、土の香りを含んだその味は食べだしたら止まらない旨さなのだ。このアスパラガスをスターターにし、その後はラムの塊のロースト、地物のクレソンのサラダ、ここでは爽やかな空気と満天の星がさらなる調味料となる。シンプルかつ滋味あふれる食卓だ。東京に戻ってもしばらくの間、アスパラガスを食べ続けることになったが、ちっとも飽きなかった。短い旬の間に、つまり一番新鮮でおいしい時にしっかり食べておくというのが、正解なんだろうな。
ある日のお昼。年に数回あるかないかの、きらきら輝くような五月晴れだ。たまたま外の工事の音もあまりない工程で、しばらくぶりに開け放った窓からの風がすごく気持ちいい。お昼はトマトやツナ缶、アンチョビにケッパーなど買い置きの材料だけで作れる簡単なパスタにしようと、鍋に湯を沸かしはじめてから「こんなに気持ちのいい日は、みんなで食べたらさぞかし楽しいだろうな」と思いつき、お隣の友人宅に声をかけてみた。いつも多忙な家なので、ダメモトのつもりだったけど、タイミングよくちょうど居合わせたその家の息子や、仕事のスタッフの女性も加わることになって、あっという間に話はまとまり、6人でお昼することになった。パスタを余計に茹でればいいだけだから、2人も6人も準備の手間は変わらない。かくして、イタリアの大家族よろしく、大皿に山盛りのパスタとサラダとワイン(前菜はもちろんアスパラガス)の食卓を賑やかに囲むことになった。食後のカフェだけは、ちょっと気取ってマッキナを使った本格エスプレッソにして、パイナップルの形のハワイ土産チョコクッキーを「パイナップルの味はしないねー」とかいいながらぱくぱく。ほんの1時間あまりを食べて喋って過ごし、後はまた各々仕事に戻ったり出かけたりしたわけだけど、その共有した楽しい時間がしっかりエネルギーになったような気がした。こんなふうに、おいしいものをみんなで食べる時間ほど大切なことって他にないよね。イタリア語でCONVIVIO(語源のラテン語ではCONVIVIUM)といえば、CONVIVERE「ともに生きる」から派生した言葉で、「饗宴」を意味する。ともに生きるということは、すなわち「ともに食べる」ことなのだ。何を食べるかより、「どのように」あるいは「誰と」食べるかが重要なのだと、この頃つくづく思う。贅沢なものはいらない、ただ健康でいて一緒に不自由なく好きなものを食べられる幸せに、日々感謝しなければならない。------とここまで書いている最中に、熊本のメロン、それから北海道から白アスパラガスが届いた。よし、今夜はプロシュットとメロン、白アスパラガスのリゾットにしよう、と決めて友人に電話。もちろんここでもふたつ返事である。おまけにリゾットにするお米もまた頂き物なのだった。う~む、実にありがたいことである。
by tencovenexiana
| 2013-02-23 20:12
| cucina