2013年 05月 07日
何でもあるけど何かが足りない |
ナントカミクスとかいうほとんど妄想といえる煽動で、世のなか浮わついている感じ。こんな虚しい大量消費や一部の富裕層にしか還元されない経済政策に、今まで私たちは何度となく挫折と失望を味わったはず。もういいかげん止めようよ、虚構に踊らされるのは。以下はリーマンショック以前の2008年にHPに掲載したテキストです。

何でもあるけど何かが足りない(2008年のGAZZETTA TENCOより抜粋)
仕事の関係で時々市場調査と称して新しい都市開発ビルやエリアなどへ出かけることがある。逆に言うとそういうつもりでもなければ、すすんでこのようなトレンドスポットへ行くことはない。六本木ヒルズやミッドタウンとかもつい最近行ったくらいだもんね。知り合いの展覧会やショップのオープニングパーティーだとかプレスのレセプションとかあると、こういった場所にやっとこさ出かける理由ができて格好のチャンスとなる。それから外国からの友人をアテンドするときも。原宿から歩いて10分もかからないところに住んでいながらふだん立ち寄ることは少ないので、たまに行くと様変わりしていてよく分からない。先日もアントネッラ(毎度おなじみのイタリアの友人)と表参道のニューオープンのビルに行ったけれど、それができたばかりとは知らずに案内してしまった。同じようなコンセプトのビルばかりなんで、にわかに区別がつかないのだ。家で食べることが多いから、外食する店のリストも一向に増えないままだ。町歩きや店に関してはよっぽどヴェネツィアの方が詳しいかもしれない。ちょっと嫌みに聞こえるかしら。でも私の周囲にいるいわゆる業界人達も似たようなもので、数人が寄り集まって、さあどこかで食事だ二次会だいうときに、トレンディな店をアレンジするような情報通はいないから、結局昔馴染みの店に流れることが多い。グルメ本に載っているような店を指定することなぞ逆に気恥ずかしい感じがする今、一体誰がそういう場所を利用しているのだろうね。ミシュランガイドをひきあいにするまでもなく、東京はキラ星輝く世界に冠たるグルメシティーなのだそうだ。世界的な有名星つきレストランの出店ラッシュで、いながらにしてスターシェフのフレンチもイタリアンも最先端スパニッシュも選りどりみどりなんだから、わざわざパリだのカタルーニャだのに行くこともなさそうだ----。
その昔ニューヨークであまりのスノッブさに衝撃を受けたデリ「DEAN&DELUCA」だって、今やデパ地下とかあっちこっちにあるし、パリのビュシ市場の傍にあってひときわおしゃれだったオリーブ専門店「OLIVIERS &CO.」も、なんと渋谷駅の通路にある。サンジェルマン・デ・プレの由緒正しいカフェ「LES DEUX MAGOTS」のパンも東横のれん街で買えちゃうし。まさかと思われたフィレンツェのファルマチア「DI SANTA MARIA NOVELLA」よお前もか、銀座で手に入るようになった。この度は「MOMA DESIGN STORE」も表参道にできたし。ほんとに何でも運んで来れるんだねえ、とその貪欲さに感心するばかり。パリのブラッセリー「FLO」やスターバックスカフェに至っては、もとから日本のものだと思っている向きも多いのではなかろうか。もちろんパリでしか味わえなかったクロワッサンやフィレンツェの香りを望めばすぐ手に入れられるのは、悪いことではない。が、簡単に手に入れたものには、思い入れなど湧かないのが人情というもの。努力を払って本物に出会った時のあの感動は味わえない。それって人生としてかなりつまらないことじゃなかろうか。


かくいう私もこの間友人からちょっとしたお礼にとチョコレートを貰って驚いた。なんとそれはいつもイタリアはウーディネ(ミラノでもヴェネツィアでもなく)からお土産として買ってきていた、私としては超レアものと信じていたメーカーのものだったからだ。六本木で売ってるなんて、まったく油断も隙もありゃしない!もちろん好物なので美味しくいただいたのだけれど、ちょっと秘密をばらされたような複雑な心境。つまり私のこだわりなんてものもひどく小市民的なわけですよ。「誰にも教えたくないお気に入り」など幻想にすぎないのだ。私も含め我々日本人は情報収集好きで、とにかくマメなのである。恐るべしはフィガロジャポンのパリやイタリアなどのガイド特集。まさにしらみつぶしに調べ上げてあって、パリっ子もびっくりである。同誌のガイド特集が出た直後のヴェネツィアに行ったら、取材の痕跡はまるで異端審問官のごとく路地裏の裏の店にまで及んでいた。小さな古びた雑貨屋の店先にまで、その証しである切り抜き記事が貼ってあるのを見つけ、背筋を凍らせたものである。
それにしてもいろんな都市開発ビルやエリアに行くと、東京には世界中のありとあらゆるものが集められていると思わせてくれる。美しいカタログのページを開くように、お金と情報があれば何でもお気に召すまま手に入りそうである。銀座に店なくば高級ブランドにあらず、というぐらい各ブランドビルが立ち並んでるけれど、ゴージャスさを競うほどに何故か空虚さを感じるのは私だけ?いろんなものを集めては編集しパッケージングされた東京は世界のショーケースになろうとしているのかもしれない。しかしショーケースはショーケース、遠くから運ばれて編集し直されたものはやはりどこか弱々しく臨場感や迫力に欠ける。本物だけが持つ凄みみたいなものは失われてしまうのだ。檻に入れられた動物園の猛獣に哀愁が漂うように、オークションにかけられた名画が贋作に見えるように、オペラ劇場の来日公演が薄味に感じられるように。やはり野におけスミレ草というべきか。周到なマーケティングによって用意された世界は、どこへ行っても画一的なテイストになるのは禁じえない。いくら本物志向、直輸入と頑張ってみたところでそれは別物、うっかり本物であると勘違いしてはならない。何でもあるけど、何かが足りない。限りなくよくできた疑似体験、レプリカにすぎないと肝に銘じておこうね。

何でもあるけど何かが足りない(2008年のGAZZETTA TENCOより抜粋)
仕事の関係で時々市場調査と称して新しい都市開発ビルやエリアなどへ出かけることがある。逆に言うとそういうつもりでもなければ、すすんでこのようなトレンドスポットへ行くことはない。六本木ヒルズやミッドタウンとかもつい最近行ったくらいだもんね。知り合いの展覧会やショップのオープニングパーティーだとかプレスのレセプションとかあると、こういった場所にやっとこさ出かける理由ができて格好のチャンスとなる。それから外国からの友人をアテンドするときも。原宿から歩いて10分もかからないところに住んでいながらふだん立ち寄ることは少ないので、たまに行くと様変わりしていてよく分からない。先日もアントネッラ(毎度おなじみのイタリアの友人)と表参道のニューオープンのビルに行ったけれど、それができたばかりとは知らずに案内してしまった。同じようなコンセプトのビルばかりなんで、にわかに区別がつかないのだ。家で食べることが多いから、外食する店のリストも一向に増えないままだ。町歩きや店に関してはよっぽどヴェネツィアの方が詳しいかもしれない。ちょっと嫌みに聞こえるかしら。でも私の周囲にいるいわゆる業界人達も似たようなもので、数人が寄り集まって、さあどこかで食事だ二次会だいうときに、トレンディな店をアレンジするような情報通はいないから、結局昔馴染みの店に流れることが多い。グルメ本に載っているような店を指定することなぞ逆に気恥ずかしい感じがする今、一体誰がそういう場所を利用しているのだろうね。ミシュランガイドをひきあいにするまでもなく、東京はキラ星輝く世界に冠たるグルメシティーなのだそうだ。世界的な有名星つきレストランの出店ラッシュで、いながらにしてスターシェフのフレンチもイタリアンも最先端スパニッシュも選りどりみどりなんだから、わざわざパリだのカタルーニャだのに行くこともなさそうだ----。
その昔ニューヨークであまりのスノッブさに衝撃を受けたデリ「DEAN&DELUCA」だって、今やデパ地下とかあっちこっちにあるし、パリのビュシ市場の傍にあってひときわおしゃれだったオリーブ専門店「OLIVIERS &CO.」も、なんと渋谷駅の通路にある。サンジェルマン・デ・プレの由緒正しいカフェ「LES DEUX MAGOTS」のパンも東横のれん街で買えちゃうし。まさかと思われたフィレンツェのファルマチア「DI SANTA MARIA NOVELLA」よお前もか、銀座で手に入るようになった。この度は「MOMA DESIGN STORE」も表参道にできたし。ほんとに何でも運んで来れるんだねえ、とその貪欲さに感心するばかり。パリのブラッセリー「FLO」やスターバックスカフェに至っては、もとから日本のものだと思っている向きも多いのではなかろうか。もちろんパリでしか味わえなかったクロワッサンやフィレンツェの香りを望めばすぐ手に入れられるのは、悪いことではない。が、簡単に手に入れたものには、思い入れなど湧かないのが人情というもの。努力を払って本物に出会った時のあの感動は味わえない。それって人生としてかなりつまらないことじゃなかろうか。


かくいう私もこの間友人からちょっとしたお礼にとチョコレートを貰って驚いた。なんとそれはいつもイタリアはウーディネ(ミラノでもヴェネツィアでもなく)からお土産として買ってきていた、私としては超レアものと信じていたメーカーのものだったからだ。六本木で売ってるなんて、まったく油断も隙もありゃしない!もちろん好物なので美味しくいただいたのだけれど、ちょっと秘密をばらされたような複雑な心境。つまり私のこだわりなんてものもひどく小市民的なわけですよ。「誰にも教えたくないお気に入り」など幻想にすぎないのだ。私も含め我々日本人は情報収集好きで、とにかくマメなのである。恐るべしはフィガロジャポンのパリやイタリアなどのガイド特集。まさにしらみつぶしに調べ上げてあって、パリっ子もびっくりである。同誌のガイド特集が出た直後のヴェネツィアに行ったら、取材の痕跡はまるで異端審問官のごとく路地裏の裏の店にまで及んでいた。小さな古びた雑貨屋の店先にまで、その証しである切り抜き記事が貼ってあるのを見つけ、背筋を凍らせたものである。
それにしてもいろんな都市開発ビルやエリアに行くと、東京には世界中のありとあらゆるものが集められていると思わせてくれる。美しいカタログのページを開くように、お金と情報があれば何でもお気に召すまま手に入りそうである。銀座に店なくば高級ブランドにあらず、というぐらい各ブランドビルが立ち並んでるけれど、ゴージャスさを競うほどに何故か空虚さを感じるのは私だけ?いろんなものを集めては編集しパッケージングされた東京は世界のショーケースになろうとしているのかもしれない。しかしショーケースはショーケース、遠くから運ばれて編集し直されたものはやはりどこか弱々しく臨場感や迫力に欠ける。本物だけが持つ凄みみたいなものは失われてしまうのだ。檻に入れられた動物園の猛獣に哀愁が漂うように、オークションにかけられた名画が贋作に見えるように、オペラ劇場の来日公演が薄味に感じられるように。やはり野におけスミレ草というべきか。周到なマーケティングによって用意された世界は、どこへ行っても画一的なテイストになるのは禁じえない。いくら本物志向、直輸入と頑張ってみたところでそれは別物、うっかり本物であると勘違いしてはならない。何でもあるけど、何かが足りない。限りなくよくできた疑似体験、レプリカにすぎないと肝に銘じておこうね。
by tencovenexiana
| 2013-05-07 18:16
| 日記/vita giornale