2013年 05月 07日
天使の声 |

私の絵は複数枚を同時進行で描きすすめていくので、常に進行形であり未完成。目指しているのは、ずーーっと見ていたい絵、イコンです。個々の絵にタイトルはありますが、全体は一貫してVOX ANGELICA。天使の声〜よい知らせ〜福音です。世界を浄化するような福音でありたいと願っています。いつまでも続く音楽のように。ただひたすら十数年、黙々と遅々と描き続けていますが、2011年のあの日以来、描くことの意味も変わりました。以下は2011年3月にHPに掲載したテキストです。(写真は現在撮影したもの)

VOX ANGELICA(2011年のGAZZETTA TENCOより抜粋)
2011年3月11日、私たちが生涯忘れることができない、また後の世にも語り継がれるであろう大災害、惨事に見舞われました。日々の心情はブログの方に書いているので、ここでは少し視点を変えてみたいと思います。といっても、今語るべきことはこの未曾有の災害にほかならず、正直言って自分の中で言葉はまだまとまらない状態で、何を言っても気持ちと乖離してしまいそうですが。
先日北イタリアはフリウリに住む友人、ジェンニ一家とSkypeで話し、無事を知らせることができました。イタリアは日本同様地震国。特にイタリアの最東北に位置するフリウリ州の山岳地方は地震多発地帯であり、住民たちはその怖さを知っています。1970年代には多数の村や町ごと全壊するような大震災に襲われました。GemonaやVenzoneなどの町には崩れ去った大聖堂とその復興の記録があり、いまだに補修用のがれきも保存されています。さらに山間部では教会を含む村が丸ごと失われ、今では唯一残った教会の跡地に年に一度当時の村人たちが集まる催事があるのみというところもありました。奇しくもそれも3月。呪われた3月として周辺住民たちの記憶に刻まれています。私たちの記憶に新しい大惨事といえば2001年9月11日の同時多発テロです。ちょうど10年前の奇数年の奇数月の同じ日付。かたやテロリストによる惨事であり、自然災害である今回の震災と簡単に比べるわけにはいきませんが、それによってひき起こされた巨大な2次災害ともいうべき原発事故のことを考えると、単なる偶然にしても背筋が寒くなります。9.11の時も次々と報道される悲惨な映像に心に暗雲が垂れこめたようになり、何故それが起こったのか考える日々でした。3.11以来、特に原発事故について私たちの犯した誤謬について考えています。ヴェネツィアに通い、そこで暮らす人々の暮らしに触れるようになってから、ずっと今の世界を席巻しているスピード、効率主義、消費主義などなどにえもいわれぬ怖さ、このままではいけないという危機感を感じていました。2000年につき動かされるように「ヴェネツィア的生活」という本を書いたのも、そしてこのHPやブログを始めたのも、自然のリズムとシンクロして生きるヴェネツィアの暮らしを多くの人に知ってもらい、共有したいと思ったからです。「ヴェネツィア生活」ではなく「ヴェネツィア的生活」としたのも、都市型スローライフのモデルとして倣おうという思いからでした。東京という膨大な消費社会に身を置きながら、できるかぎりエネルギーを無駄にしないライフスタイルを模索してきました。いつもどこかで個人で出来る事の非力さを痛感しつつ。




私がずっと描き続けている絵のシリーズのタイトルはVOX ANGELICAです。直訳だと天使の声、ということになりますが、聖書でいうところの福音、天からのよい知らせ、すなわちエヴァンゲリオンという意味です。言語化できないものがあるから絵を描いているわけなので、表現したいものが何なのか言葉で解説するのは矛盾しているとも思いますが、今一度その意味について考えています。これもまた偶然なのですが、10年前の3月に自分の絵について書いています。そのうち展覧会を開きたいと思いつつも十数年なかなか機会を作り出せずにいましたが、昨年あたりから具体的に世に送り出すことを考え始めています。今年になってすぐに(グループ展のかたちですが)展示の機会を得たのも、不思議な縁のようなものを感じています。自作の絵のコラージュをプリントアウトし、たたんでコンパクトなパッケージにいれたのもお守りのようなつもりでした。入れこんだラテン語のメッセージは自分への戒めも含めて「ARS LONGA, VITA BREVIS. 芸術は長く、人生は短い」「PULSATE , ET APERIETUR VOBIS. 叩けよ、さらば開かれん」今年は特別な年になると予感していましたが、まさかこういう答えが待っているとは予想だにしませんでした。このようなカタストロフを経験し、すべての価値観の変換を余儀なくされています。アートの意味も変わるでしょう。このような非常時、いいことも悪いこともくっきりと姿を現します。まさに私たちは試されているのかもしれません。とにかく今は1日を大切に生きたいと思います。


by tencovenexiana
| 2013-05-07 23:40
| arte