2016年 09月 29日
暮しの手帖とヴェネツィアと |
亡き母は「暮しの手帖」の熱心な愛読者であり、この本は子供の頃からいつも私のそばにありました。今の私のライフスタイルの原点といえるものかもしれません。(NHKの朝ドラで登場した)47年前発刊の「戦争中の暮らしの記録」は、母の思い出とともに今も古びたまま実家に置いてあります。
戦争中の日々の暮らしの細かな描写や普通の人々の物語は、それまで見聞きできなかったことばかりで、興味は尽きず何度も繰り返し食い入るように読みふけったものです。豊富なスケッチやイラストにも惹きつけられました。戦争の悲惨さもさることながら、厳しい状況下で必死に自分らしく生きようとする人々の生活力や、サバイバルの工夫が鮮烈でした。母から実際に戦中の体験を聞いたりするようになったのも、この本がきっかけだったかもしれません。母は徹頭徹尾、反戦そして反核の人でした。それが母が暮しの手帖の愛読者だったことと無関係でないと気がついたのは、私が大人になってからでした。3.11以降私がデモに行ったり、反戦反核の活動をしたのも、最初は母の頼みで代理のつもりで始めたことでした。
「暮しの手帖」をめくるたび、本というメディアが果たす大きな意味を感じます。
私たちの人生の大半は日常でできています。日常生活の質を見直すことで、価値観や考え方が変わることもある。むしろ難しい哲学や議論よりも、その方が確実でより多くの人に響くのではないでしょうか。
ふと、私がずっとやってきたこと、これからもやっていこうとしていることは、いわばヴェネツィア的暮しの手帖なのかもと思いあたりました。暮しの手帖とヴェネツィアというふたつの出会いは、いずれも私の人生を大きく変え、それはいみじくも私の実母とヴェネツィアのマンマという、ふたりの母が私に手渡してくれたものなのです。2000年に追い立てられるように本「ヴェネツィア的生活」を書いたのも、2010年にブログを始めたのも、多くの人たちとヴェネツィア的生活の価値観を共有したいと思ったから。そして、何ということか、2015年に私はふたりの母をいっぺんに失ってしまいました。
今またターニングポイントに立ち、ふたりの母から受け継いだものを、どのように伝えていこうかとあらたな一歩の踏みだし方を考えています。
本当の豊かさとは何か、自分らしく生きるとは何か、を探りながら、より良い生活者でありたいと思っています。
以下に自分のためのメモ代わりとして、二つのポストをリンクしておきます。
このブログの最初のポストより抜粋「ヴェネツィア病」
ヴェネツィアに出会って、確実に人生が変わったと思っています。生活の質、ほんとうの豊かさ、自分らしく生きるということーー。多くの人に観光ではない、ヴェネツィアの生活を知ってもらいたい、そして共有したいという一心からいきおいで本まで書いてしまいました。
その一方で、ふだんの東京暮らしでもヴェネツィア的生活が実践できるのではと考えています。旅の時間も大好きだけれど、なにしろ人生の大半は日常でできているのです。つまり日々のディティールに目を向けていけば、生活の質は確実にアップするはず。ヴェネツィア人に倣い、まずはよりよく食べる「MANGIARE BENE」から。よりよく食べることはよりよく生きることと確信しているので。このブログでは、少しずつ私のヴェネツィア的生活を紹介していきたいと思っています。
内田樹さんのポストより抜粋。「ご飯を作り、お掃除をすることの英雄性」
「ご飯を作り、お掃除をする」というこの二つの類的営みを愉悦的経験として奪還するという点に、おそらく村上春樹の文学の世界性の秘密は存する。
世界中に、国境を越え、人種を越え、宗教を越えて、どこにでも「ご飯を作る人、お掃除をする人」はいるからである。彼らはその日々の営みに十分な敬意を示されないことにいささかの苛立ちと悲しみを覚えている。
村上春樹はその人々の欠落感をいっとき癒してくれる。
「日常生活」と貶下的に呼ばれるものの冒険的本質を一瞬垣間見せてくれる。
だから、「ご飯も作らないし、お掃除もしたことがない」タイプの知識人たちが村上春樹をうまく理解できない消息が私にはよく理解できるのである。
by tencovenexiana
| 2016-09-29 02:22
| ヴェネツィア/venezia