2010年 10月 09日
ヴェネツィア病 |
この重い病にかかってから、ずいぶん長い歳月が流れた。旅人として最初にヴェネツィアに出会ったのは今から遡ること25年ほど前のこと。その時の衝撃は今も皮膚感覚までもともなってリアルに思い出すことができる。よく晴れた冬の午後、乗っていたタクシーボートがカナルグランデを抜け、サンマルコの大運河へと放たれるように出ていった瞬間、ここが自分にとって特別な場所だという強い思いに射抜かれた。肌を切るような冷たい風に向かいながら、今ここで死んだら幸せだろうなというくらいの至福感に恍惚となるなんて、生まれて初めての体験でした。それから10年後、不思議な縁に導かれるようにヴェネツィアを再訪することに。以来、少なくとも毎年一度はヴェネツィアの空気を吸わないと、自分らしさを保てないような気がしています。前世はきっとヴェネツィアに居たに違いないと思い込むまでに重症化は進行中。
私にとってのヴェネツィアは、きらびやかな観光都市の表向きの顔ではなく、そこに住む人々の昔ながらの暮らし。ヴェネツィアはその起源より純粋に人工的に構築された都市です。海に囲まれた希有なる土地に住む人々はアクア・アルタも含め自然のリズムとシンクロし、あるいは異文化と交流しながらしたたかに生きる術を身につけ、はるか昔から都市型スローライフを実践してきました。町が丸ごと世界遺産のヴェネツィア、歴史的建造物や芸術の数々はもちろんだけれど、住人たちの暮らしぶりをも遺産として残すべき価値があるのではないかと思う。生粋のヴェネツィア人である我がマンマ・ロージィは、私にとって料理をはじめとするヴェネツィア的スローライフの偉大なるマエストロです。
*写真はヴェネツィアの家の戸口と台所の窓からの眺め


ヴェネツィアに出会って、確実に人生が変わったと思っています。生活の質、ほんとうの豊かさ、自分らしく生きるということーー。多くの人に観光ではない、ヴェネツィアの生活を知ってもらいたい、そして共有したいという一心からいきおいで「ヴェネツィア的生活」(マガジンハウス)まで書いてしまいました。
その一方で、ふだんの東京暮らしでもヴェネツィア的生活が実践できるのではと考えています。旅の時間も大好きだけれど、なにしろ人生の大半は日常でできているのです。つまり日々のディティールに目を向けていけば、生活の質は確実にアップするはず。ヴェネツィア人に倣い、まずはよりよく食べる「MANGIARE BENE」から。よりよく食べることはよりよく生きることと確信しているので。このブログでは、少しずつ私のヴェネツィア的生活を紹介していきたいと思っています。
*ヴェネツィアでのふだんの食卓。トマトのシンプルなスパゲッティが一番。
*ヴェネツィア名物ソットポルテゴ、トンネルのような路地です。
私にとってのヴェネツィアは、きらびやかな観光都市の表向きの顔ではなく、そこに住む人々の昔ながらの暮らし。ヴェネツィアはその起源より純粋に人工的に構築された都市です。海に囲まれた希有なる土地に住む人々はアクア・アルタも含め自然のリズムとシンクロし、あるいは異文化と交流しながらしたたかに生きる術を身につけ、はるか昔から都市型スローライフを実践してきました。町が丸ごと世界遺産のヴェネツィア、歴史的建造物や芸術の数々はもちろんだけれど、住人たちの暮らしぶりをも遺産として残すべき価値があるのではないかと思う。生粋のヴェネツィア人である我がマンマ・ロージィは、私にとって料理をはじめとするヴェネツィア的スローライフの偉大なるマエストロです。
*写真はヴェネツィアの家の戸口と台所の窓からの眺め


ヴェネツィアに出会って、確実に人生が変わったと思っています。生活の質、ほんとうの豊かさ、自分らしく生きるということーー。多くの人に観光ではない、ヴェネツィアの生活を知ってもらいたい、そして共有したいという一心からいきおいで「ヴェネツィア的生活」(マガジンハウス)まで書いてしまいました。
その一方で、ふだんの東京暮らしでもヴェネツィア的生活が実践できるのではと考えています。旅の時間も大好きだけれど、なにしろ人生の大半は日常でできているのです。つまり日々のディティールに目を向けていけば、生活の質は確実にアップするはず。ヴェネツィア人に倣い、まずはよりよく食べる「MANGIARE BENE」から。よりよく食べることはよりよく生きることと確信しているので。このブログでは、少しずつ私のヴェネツィア的生活を紹介していきたいと思っています。
*ヴェネツィアでのふだんの食卓。トマトのシンプルなスパゲッティが一番。
*ヴェネツィア名物ソットポルテゴ、トンネルのような路地です。
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by tencovenexiana
| 2010-10-09 15:10
| ヴェネツィア/venezia